貞享暦以後、宝暦暦・寛政暦・天保暦と日本独自に相次いで改暦が行われ、弘化元年(1844年)より施行された天保暦が日本で最後の太陰太陽暦であるが、それまで実施された太陰太陽暦のなかでもっとも精密なものといわれ、当時中国で用いられていた時憲暦を上回ったと評されているが、当時の世界の流れに逆行して不定時法を導入するなどの問題点もあった。
現在でも民間では太陰太陽暦は年中行事や占いのために用いることがあり、これを旧暦と呼んでいるが、これは閏月の置き方を天保暦に借りはしても数値や計算法は現代の理論に従っているので厳密には天保暦と同義ではない。なお現在の中国でも太陰太陽暦が農暦という名で使われており、基本的に日本の旧暦と同じであるが、1時間の時差のために日がずれることが少なからずある。
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元々、「何月」というのは、天体の月の運行を意識したものである。太陰暦は月の運行を強く意識した暦で、「何日」と月のみかけの形が一致する。月が出ていれば、その日が何日であるか暦が無くてもわかる。深夜に月の明かりを頼りとして活動をする場合には、月のみかけの形がわかると都合が良い。また、潮の満ち引きは月の位置と密接な関係があるため、漁業や釣りなどの海での活動を行う場合に役に立つ。
それに対して、太陽暦は月の形とは関係なく暦が作られている。したがって暦だけではその日の月の形は分からない。